こんにちは!
夏本番。暑い日が続きますね。
暑い夏の週末には、時々ふと、子どもの頃の夏休みの感覚がよみがえることがあります。
どうしてなのか理由は分からないのですが、きっと何か、
遠い記憶を呼び覚ますものがあるのでしょう。
今月は、JOPA代表理事でありバベルの講師をされている丸山一子さんからの記事です。
秘書をやっていれば必ず訪れる上司とのチーム解散は、
キャリアチェンジのきっかけにもなりますね。
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1994年入社し、すぐに付いた上司が今年退職しました。昨年から2人の上司に仕えており、もう一人の上司も同時に退職。つまり、2人の上司が同時に退職したということになります。そして、私もこの機会に、秘書の職を離れ、法律関係の部署に異動となりました。
先の上司とは、20年近い付き合いとなります。多少生涯発達的な視点から、上司と私自身の20年間を簡単に記したいと思います。
入社当時、上司は部長なりたて、私は秘書どころか社会人なりたて。上司は、前秘書であった先輩に、役に立たない私の頭を通りすぎて仕事を依頼することもあり、自分のふがいなさを噛締めておりました。2年目に入り、仕事を覚えると、そのようなこともなくなり、上司の仕事のやり方や、業界用語にも強くなり、上司の仕事の先読みができるようになりました。上司が出勤する前に、朝まで届いた書類を見て、必要な書類作成を全て終わった状態で上司を迎える。上司は、それらの書類に目を通し署名して、11時頃までにはデスクワークが終わり、海外の顧客が動き始める午後は戦略、顧客対応に目一杯集中させるという毎日でした。上司は、ベストの売上を上げなくてはならない働き盛りで、少しでも多くの仕事を私に担って欲しいというニーズが上手く合ったのでしょう。
入社5年目頃に、現在のCAP(当時のCPS)と国際秘書検定を受験し、合格しました。このころには、自分のアイデンティティーが秘書という職業をベースに確立しつつありました。上司は、役員に昇格し、それを裏付けました。しかし、この時期は苦しい移行の時期でした。学生時代の夢に挫折感もあり、8年の交際に終止符が打たれ、上司にも厳しく教育され、かといって会社のシステム上キャリアの進歩に壁を感じていました。秘書という職業観でしか自分を保てないという心境でした。その中での合格は、人生の取っ掛かりを得たような大きな節目となりました。
その後、上司は、更にキャリア・ラダーを昇り、副社長となりましたが、取締役本部長であった時期が一番充実されていたように思います。トップマネジメントになってしまうと、下位役職者に仕事を任せ、経営的業務に移行します。年齢的にも中年期を過ぎ、自分の礎となるような業績を残したいという脂ぎった目標ではなく、その習熟した知恵を結晶化しようという落ち着きのある目標感に変わります。私は、20代の焦りの時期を過ぎて、秘書としてのキャリア成長に充実したエネルギーを注げていました。この頃に講師活動も始まりました。
そして、上司の退職を迎えた今、ただただ自分の歴史を感じます。泣いて騒いで必死で生きてきた女人生の歴史です。充実感や美しくシットリとした振り返りのようなものは無く、「ああ大変だった。。。いつもギリギリの真剣勝負のドタバタだった。これからもそうなのだろうな。」こうとしか表現ができません。
KM