ずいぶん涼しくなってきましたが、みなさん元気でお過ごしでしょうか?
三連休の週末が2回続いたあとで、私は今日の出社がちょっと辛かったです。
今月は、秘書からキャリアチェンジをされた大塚由美子さんの登場です。
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CPSに合格したのは1998年でした。外資系企業の秘書をしており、まだ30代半ばだった私は、まさに働き盛りの女子でありました。受験のきっかけは、外資系秘書としてのキャリアを何かの形で残しておきたいと思ったからです。CPS取得の2年前には(社)日本秘書協会のCBS(Certified Bilingual Secretary)検定に合格していましたので、次はアメリカの資格をと考えました。しかしアメリカでの就業経験がない私にとって、CPSはかなりの難関でした。当然ですが設問は100%英語ですし、なによりもアメリカ社会を想定した設問です。私にはアメリカ留学の経験さえありませんでした。ですから、受験勉強科目のうちとりわけ”Business Law”はゼロから勉強しなくてはなりませんでした。日本の法律の知識もないのに、よくアメリカの法律を覚えられたなあ、と今思うと感心します。それでも合格したい一心で受験勉強に取り組みました。人生で最も勉強した時代の一つです。
当時CPSの認知度は今ほど高くなく、同期も数人でした。契約社員であった私は、CPSを取得した喜びとやる気であふれていました。しかし、そのやる気とは逆に契約環境は下降気味でした。モチベーションを保つ要素には仕事・人・環境・賃金があると思いますが、それらは次第に入手が難しくなっていきました。不満が徐々に募り、私はいつのまにか人や環境を排他的に見ていることに気付きました。そんな状態では当然のことながら周りとうまくいくはずもありません。このまま不満を抱えて秘書を続けることはできても、それは喜びに繋がらない。自分がハッピーでなければ上司をハッピーにできない。そんなことは過去に何度も経験済みでした。
それが外へ飛び出す決断をしたきっかけとなりました。そして外資系医薬品業界へ転職したのです。CPSを持った秘書としてそれなりにプライドがありましたので、今までの秘書仲間にはしばらく本当のことは言えませんでした。新しい職場でも前歴を積極的に明かすことができず、つまらないことで悩みました。しかし幸いにも品質保証部での仕事は前歴をあまり問われることはなく、やる気と語学力があれば大丈夫でした。しかも患者さんの体内に入れる薬の品質を扱うということで、非常にやりがいのある仕事です。4年前には品質保証責任者となり、現在は国内外で製造する医薬品の品質を包括的に管理しています。
このポジションは必ずしも薬剤師である必要はなく、行政の要件を満たしていれば受け入れてくれる土壌があります。秘書的な働きを求められる場面もあります。ラッキーな転職だったと思います。
子供の頃にベッドで毎晩読んだのは「家庭の医学」。学生時代のアルバイトは病院の薬剤部でした。ほんの少しですが素地があったのかもしれません。
CPSの皆さんにも転機が急に訪れるかもしれません。たとえ向かう方向が秘書職ではなくても、秘書マインドはどの環境においても生かされ歓迎されるということをぜひ覚えておいて頂きたいと思います。
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